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信者体験談
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吉津 靖夫 様
「十年間を顧みて(感謝、感謝の日々)」 平成二十六年六月

室蘭市 吉津 靖夫 様

 

私は十年前の平成十六年二月二十六日、当時六十一歳の若さで「脳幹出血(のうかんしゅっけつ)」という病に倒れ、意識不明の重体になり、生死の間を彷徨(さまよ)うことを余儀(よぎ)なくされました。
妻が総裁様に連絡して、札幌分宮で大型の御神札(おふだ)三体を受け、ベッドの枕元に入れるよう御指示がありました。
三月一日には面会謝絶の中、早々と総裁様のお見舞い、激励があったことを妻の記録から知らされました。その後も挿管処置、文字盤使用、胃ろう手術などを経て、言語、医学、作業治療のリハビリを行い、八月十四日にはじめて外泊許可が出されるまでに奇跡的な回復をみました。(翌年三月末に退院許可)
この間、月次祭に来蘭の折には一度も欠かさず、総裁様にお祓いをしていただきました。あの世から生還できたのも、今日このように元気に生かさせていただけるのも、すべて八大様、総裁様のお導きの結果といつもいつも感謝しております。
そして、十三ヶ月ぶりに江差本宮の「春季例大祭」、続いて「夏季例大祭」、「大流し供養祭」にも参加することができました。この大流し供養祭の室蘭丸の御神歌は、「救われて感涙流し感謝しても 時が過ぐれば原点忘れる」と当時の自分にマッチしていたことが鮮烈に記憶に残っています。
左手足麻痺(障害等級二級・介護認定区一要支援二)の後遺症は残りましたが、今は生き抜いた証として共存しております。
十年を迎えるにあたり、あらためまして謹んで感謝の意を表し、これからも御愛顧のほどをお願いします。

                                     合掌



(追記)
その後の御家族のお話しでは、吉津さんが倒れられた当初、医師から余命一週間と告げられていたそうです。しかし、八大様、教祖様の大きな御守護(ごしゅご)、総裁様の御祈願(ごきがん)、そして、御家族の懸命な介護によって驚異的に回復され、その七ヶ月後、別の病院のリハビリテーション科に移られました。
また、吉津さんが倒れられた当日の朝、普段は仕事でいないはずのお嬢さん(ご次女)が偶然その場におられたという事も大きなお導きであります。
そして、翌年四月六日に退院し、その僅か六日後の本宮春季例大祭に参列されたのであります。
その後もリハビリに励まれる吉津さんの姿を見た同施設の看護師さんは、「あなたは当時の状況からして今このように元気でいられる人ではなかったんですよ」と大変驚かれたそうです。
以来、室蘭分宮の月次祭はもとより本宮の各大祭も必ず参拝され、また、夏祭り前の室蘭分宮有志による草刈りの際には今でも先頭に立って御奉仕されております。これからも室蘭分宮の太き柱としてますますお元気で御活躍されます事をお祈り申し上げます。