八大龍王神様のお言葉に、「天地万物は人類の創造したものではない」とありますが、我々霊長人間の生活は偉大な天地(あめつち)の恩恵によって成り立っており、一年一年の年輪を刻んでゆく時の流れの過程で、日々刻々暮らしの中で生かされている有難さと、同時に我々人間をはじめあらゆる生ある万物が死に刻々近づいていることは避けられない現実であります。
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教祖真筆 |
つまり、生かさせて頂いている尊さ、暮らしの祝いの尊さをもって毎日を過ごすことが大切であり、大小の事柄に左右されずに、どんな小さなことでも良きことは自身をはじめ家族全般が、更に職場全体でも地域社会においても、それを与えて下さった御恩に対し謹んで神様、仏様、御先祖様に心より感謝し、お祝いすべきということなのであります。
※生者必滅会者定離(せいじゃひつめつえしゃじょうり)…生ある者は必ず死に、出会った者は必ず別れるのがこの世の定めであるという意味。 |
「祭(まつり)の心、祝(いはい)の心」とは冷静に一日一日の暮らしの中、避けられない自然の風雪や暮らしの明暗による喜怒哀楽の心の渦中にあって、自分を処遇(しょぐう)する価値観の問題として、自らの位する位置を那辺にとどめておくべきかという結論が出された時に、初めてささやかな暮らしの中に、ひとつの念願が成就された喜びが「祝う心」となり、それが家中に広まって家の「祝う行事」となり、そして軒(のき)を連ねてともに暮らす縁深き地域の人々の同じ思いの「祝いの行事」となり、更に同じ神を信ずる氏子や信者間の「祝いの行事」となったのです。
即ち生きている限り年齢の上下を問わず、先祖代々から継承されてきた「祝の心」、「歓喜の祝いの行事」が「祭(まつり)」になったのであります。 |
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教祖真筆 |
そして、五蘊皆空(ごうんかいくう)※の大法(たいほう)の赴くところ、我らはまた、いつの日か先祖となることは明確であり避けられない事実なのであります。
私達は、宇宙創造の大神八大龍王神様の御教えの中にこの『人生は祭りなり 生活は祝なり』のお言葉があり、また教祖の御神歌「子は宝 孫曽孫玄孫は なお宝 真の心を 受け継ぐ宝」に示されている通り、「祭の心」、「祝の心」で子、孫、曽孫、玄孫を育み家族をはじめ、あらゆる人達と手をたずさえて日々豊かに暮らしてゆかなければならないのです。
この尊い御教えを子孫に伝えてゆくこと、これが信仰の根本であります。
※五蘊皆空(ごうんかいくう)…人の存在は、五つの集まりから成り、その五つの集まり、色、受、想、行、識はすべて空であるという意味。 |