教祖真筆 ~八大龍王神救済記(Ⅱ)~
◆『昭和四十二年十一月十五日
神爾志郡乙部町 阿部きみ 第八金宝丸』
八大龍王神の信心深く、大祭はもとより平素のお参りも忘れる事がなく、その点信徒のもはんである。
丁度四十二年の秋の大祭も終り霊感者(弟子)(れいかんしゃ)の田近敬子、堀家己代枝、若山リカ、余市の国仙とし、松代としゑ達が居て、十六日に一緒に(布教に)出かけるべく、本部(八江聖団茂尻町旧本部)にて修行中、午后二時頃乙部より電話あり。釧路から江差へ廻航中の第八金宝丸遭難中、風速三十九米(メートル)で無電も入らぬとの事。江差の海もものすごく荒れて大変であり、すぐ御祈祷にかかる。八大竜王神の御神示(ごしんじ)にて、目下元気との事、すぐ救済に向ふため宮は留守になるぞとの御言葉であり、お宮の神々と乗組員の先祖の霊が八大様に頼み一緒に向ふとの事、一心に祈念す。海上保安庁では元気との無線が入るが処在(所在)がわからず、巡視船も救済に向ったとの電話のみ。四時を過ぎても連絡なく、六時頃は村中泣いて、案じてもう決定的な状態で、死を連想していたが、この時船は釧路から八戸沖まで流され、船の横腹の板長さ二間、幅五寸位の板二枚はがれたため、海水がどんどん侵入し、乗組員は必死で水をかいていたので、寒さと空腹のために一番若い乗組員は船首から船尾に走りあるき泣いていたそうで、阿部一(息子)もこの度だけは、八大様、何とぞ命を助けてくれと念じつつ、船の梶をにぎっていたらしく、不思議と船はゆれず機械も快調にかかり浸水も多いが、きせき的に浦河の海岸の灯をみたのは実に九時までかかり、無事との無電を受取ったとのれんらくあり。
一同本部にて泣きふす。乗組員達、船を浦河に入れられず、浪高のため三石港に入った時は全員くたくたであり、地元消防団が朝まで海水をくんで船をもたせた由。乙部中の人達皆泣いて喜んだわけである。無事に助かり本部に参詣せり。ひとへに竜王神様のおかげであり、心より深く祈念申し上げた。