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教祖と御教え
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教祖 出村龍聖大人之命

 

教祖龍聖 御真影

教祖出村龍聖(りゅうせい)は、漁業を営む出村庄太郎スワとの間に、兄弟姉妹五人の長男として大正十五年(一九二六)九月十九日、北海道桧山郡江差町に生まれました。


母スワは、余市町豊浜の実家松代家にて、
白馬に乗り赤い狩衣を着た若い神主姿の神様が、子宝をはじめ三つの宝物を授けに来た夢を見た後、期せずして江差町の庄太郎と縁談がおこり出村家に嫁ぐこととなりました。


更に嫁入り後、大きな太陽が口よりお腹の中に入った夢を見て、生まれたのが教祖龍聖であります。

 

江差町は、母スワの実家松代家の先祖が命を落し、その御霊(みたま)がまつられている地であり、まことに奇しき因縁であります。

教祖龍聖は、幼少時より信仰心が厚く地元の賢光稲荷などの御社の清掃を登校前の日課としておりましたが、数え十歳の時に霊夢を見て以来、霊感による予言を始めます。


高等小学校卒業後、横須賀の海軍航空技術省附属工業学校に入校し、全国より集いたる千名の中で常に上位三番以内の成績を収めます。


卒業後、海軍工作科予備補習生となり、第一海兵団に入団。昭和十八年(一九四三)七月、千歳海軍航空基地隊に配属されたのを初めに、北千島、幌筵島と転戦、更に横須賀第一海兵団に転じ航空母艦「信濃(しなの)」建艦に従事しました。


その後、海軍航空技術省飛行機部にて飛行機の設計に携わりましたが、戦況悪化に伴い再び前戦に赴き祖国防衛の為に一命を賭けられました。戦場では七回程生命の危機にさらされましたが、その都度、両親をはじめ肉親の神仏への祈願の賜と思われる御利益により無事帰還致しました。


終戦後、教祖龍聖は混乱した世相に直面し、生命を賭して荒行(寒中深夜の海中禊(みそぎ)、直後の井戸水による身滌(みそぎ)、滝行、断食等)に没頭しました。その荒行の最中に宇宙創造の大神「八大龍王神」が天降り、発した第一声が「我は八大龍王神なり」でありました。以来、国内および国際情勢、個人の未来についての予言や様々な大願成就の祈願などにおいて法力を発揮されました。


昭和五十五年(一九八〇)、永い間の荒行や布教により失明しましたが、それ以降も数百体にわたる「心眼一筆龍」や、「御龍体の御守り」など書き遺され、昇神する平成元年(一九八九)十二月三十日まで信者救済の行(ぎょう)を続けられました。